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西区己斐

Author:西区己斐
芸大生の手記です。
てかまんま絵日記。
写大と高幡不動よりお届け。
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キィはHasselとMac iPhone。
或はささやかな同人生活。
或は……………

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人生が二度あれば

「人生が二度あれば」
井上陽水作詞・作曲

父は今年二月で 六十五
顔のシワはふえて ゆくばかり
仕事に追われ
このごろやっと ゆとりが出来た
父の湯飲み茶碗は 欠けている
それにお茶を入れて 飲んでいる
湯飲みに写る
自分の顔を じっと見ている
人生が二度あれば
この人生が二度あれば

母は今年九月で 六十四
子供だけの為に 年とった
母の細い手
つけもの石を 持ち上げている
そんな母を見てると 人生が
だれの為にあるのか わからない
子供を育て
家族の為に 年老いた母
人生が二度あれば
この人生が二度あれば

父と母がこたつで お茶を飲み
若い頃の事を 話し合う
想い出してる
夢見るように 夢見るように
人生が二度あれば
この人生が二度あれば
人生が二度あれば
この人生が二度あれば
この人生が
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Love and Peace or Else

先日6日に続き、今日9日。
広島と、長崎。言わずもがな原爆投下された日です。
日本の政治家と云うものは総じてくだらない事しか言わないものですが、
広島、長崎両市長のスピーチは日本の政治家で最も優れていると思う。
例え首相の顔が見えていても、
何ら恐れず痛烈にアメリカを批判したり。
明確に意思を見せて、断言するような言い方は素晴らしい。
その文面を読めば、後に続く首相のスピーチがバカバカしくてしょうがない。
だって本音と建前が見えるようで………


私も、祖父が死んでから度々式典に赴きたいと思えど、
なかなか機会が訪れないもの。
長崎も、広島も一応訪れてはいるのですがね。
何せ他人事ではないので……………
数年前、祖父の死に伴って式典に招待されたとき、
つくづく行けたら良かったのにと悔やまれる。

Fool to Cry

コードギアスも、アリプロが似合う話になってきた。
壮大なスケールでおくる親子喧嘩も、C.C.が介入してややこしいけど、そのC.C.が今回ばかりは可哀想で仕方が無い;;
……やっぱり負の連鎖じゃないか!!
今日のルルはなんというか、
(三次元の)誰かの代弁してるみたいだったな……
なんだか、
中三の頃を思い出す。
死者の書を読みふけっていた頃だよ……。

生きる意味とか、僅か数秒間にルルは語って呉れたけれど。
それは今朝の事件に重なる。
……15歳の少女が父を刺殺した事件です。
朝、目覚めたときに"思いついた"との供述が見られる。
所謂「目覚ましテロリスト」に良く似ている。
勇気があるんだよね、彼ら。
先のバスジャックにしても、
思い立ったとしても勇気がなきゃ、決断できないもの。
もちろん、彼らが下した決断は全ての段階で誤ったものだったが。
とかく以前より諦めが早すぎる気がする。
決死の決断なんてのは子どもがするには気の毒だよ。
もういいやっ、って自棄になったら殺すも殺されるも容易いのだから。
そりゃ生きる意味って、悩むだろうよ。
僕なんかだと模索してるうちに大人になっちゃった。
だから救われたのかもしれないけど。(変人が出来上がったのは別として!)
いや、だからって………子どもを怖がったらおしまいだ。
浅はかな眼で見たら(日本と自分の)未来が幸せには見えないのかもしれない……
それって、かつて描かれた夢のある21世紀初頭じゃないよね。
日本は物的に満たされて、それで今度は精神力が足りないみたいだ……


……あ、いや、某皇帝陛下が息子を怖がってたようには見えなかったけど(爆

Until The End Of The World

私、大泉洋って結構好きなんですよね。
「1×8いこうよ」という北海道ローカル番組があります。
幸運な事に群馬テレビで中継してくれたので見ることができました。
群馬に居ながらにして、北海道ローカル番組を見る。
それは贅沢な事のように思います。
そしてその番組の主役こそ、大泉だったのです。

今夜ふと、TVを見ると大泉洋が出ているではありませんか。
「あの日、僕の命はトイレットペーパーよりも軽かった」。
捕虜収容所からの脱走という話。
これだけなら、名画「大脱走」と対比するのも良いかもしれません。
ですが、生憎日本帝国に補書という存在は否定されてたので。
(現在の日本国には捕虜は認められるだろう)
結果として、「大脱走」の真逆をゆく悲劇が至る所にあったわけだ。

例えば、東大出の友永英夫氏は、海軍技術中佐としてナチスドイツへ派遣された。
しかしドイツ海軍潜水艦で帰国途中、ドイツが降伏。
ドイツ軍籍の潜水艦は、事実上日本の敵になった。
その艦内にあって逃れられない友永氏は、迷わず自殺した。

かつて中学生の時、悪しき制度「ゆとり教育」により
卒業レポートを制作する授業がありました。
私は、迷う事無く即座にテーマを決めた。
「死」だ。

これについては、本文をいずれ掲載するだろうと、思う。


8月でもないのに夜な夜な、こういう思考が動き出したからもう止まらない。
生きて恥を晒すべからず。
この登場人物に出て来る「軍曹」等、典型だろうか。
教育の段階から偏った事しか教えなければ、
文字どうり盲目な思想を持った人間が世に出る。
だから、やはり話中の大泉洋の如き人間は、
概ね社会から排除される運命であつた。
いわく、非国民、売国奴、村八分。
噂が広まり憲兵に逮捕されれば、もう一巻の終わり。
適当に心筋梗塞だとか云う名目で死体が帰って来ておしまい。
この辺りは"拉致で有名な某国"で今なお模倣されてますね。

幸い言論の自由が保証される我が国。
さりとて、手放しに自由でも無い。
メディアは勝手に自主規制を重ねて……
もうテレビ、好きじゃないんだよな。
でも、伝えなくちゃ。
戦争が悪い悪い、だけ言っていたら、
戦争状態になったことに気づかないんじゃない?
麻薬も戦争も、知らない人程、容易く手を出す。
ですが生憎、最近の政治家は、気軽に手を出すタイプのようです。

Sympathy For The Devil

地獄少女 二籠。
最終回、「あいぞめ」。

無実の罪に追われる少年、拓真は、唯一の味方である
刑事を誰かに"地獄送りされる"。
味方であった刑事の妹も、目の前で兄を失った悲しみから、
拓真を地獄送りさせる。
恐怖の連鎖を断ち切るためと称して。

だが、地獄少女は、地獄送りを止めた。
拓真は現世に戻り、代償に地獄少女は二度目の死を迎える。

如何にも日本的な物語であるにもかかわらず、
ある曲が連想される。
Sympathy For The Devil(Rolling Stones)だ。
"悪魔への同情"です。
解釈としては、
「人は悪魔を悪い奴らだと決めつけるが、本当に悪い事をするのは人間だ。(自分が人間でありながらも)存在しない神に対して常に悪役にされる悪魔に同情せざるをえない」

一部歌詞を訳すならば、
「I watched with glee
あたしは心中ほくそ笑みながら眺めておりました
While your kings and queens
あなたの王や女王達が
Fought for ten decades
百年間も戦い続けているのを
For the gods they made
それもあなた方がこしらえた神の御名において戦っているのを」

この曲が書かれた頃、ヴェトナム戦争がありました。
既成の価値観が崩壊した時代。
変な話、神とか、悪魔への価値観も変わった。
ヒッピー達が、LSDと共に、死者の書を読んだ事や、
瞑想する事を経験した事も、影響しているでしょう。
そして書かれたのが上記の詩。
反戦歌であるのは明白であるとともに、
悪魔すら嘆かせる存在が人間という時代の描写。

考えれば尽きる事は無いけれど
悪魔に欲望を託したとして、
引き換えに自ら地獄へ落ちるのは免罪符でない。
ましてや居もしない神を信じるのはバカげてる。
そして、人が如何に脆く、危ういか…
でも、悲しむ暇は無い。
我々には、困難に打ち勝つ力もある。
耐える力もある。
悪魔や神に頼らなくとも。

つくづく、地獄少女というアニメ作品が、
いかに重いテーマを背負っていることだろうか。


エヴァンゲリオンもまた、相当に重いテーマを持っている。
でもそれはまたの機会で。
そうですね…劇場版次回作が公開された頃にでも。

revolution9

今、地獄少女見てる訳ですが。
「連鎖」。
湖畔の町の人々が、互いに疑心暗鬼に陥って、
次々と隣人を地獄に送ってしまうのです。
疑心暗鬼って、怖い。
"仮想敵国"のように、甘美な毒。
自らを省みず他人のみに責を押しつけて、
一方的に辱める…
マイミクのプロフに書いてあるのですが、
「摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。」
という言葉が好きです。
これは吉田 元社長の言である"電通鬼十則"の十。
現代風に云うなれば「建設的な対立」とでもいいましょうか。
対立が無くては進歩しない事を表しているのです。
しかし、"恐れるな"という表現からわかるように、
日本人は摩擦を恐れていた。少なくともかつては。
一方で昨日の敵は今日の友という考えが通用した(或いは今も)。
今も摩擦を恐れる人は居る。それも極度に。
それは、疑心暗鬼ではないのだろうか?

例えば、先日この世を去った宮崎死刑囚。
彼れが新人類の先がけでしょうし、転換点であった。
今で云うアキバ狩り。
そんなもの、姿を変え形を変え今に至っただけで
私がこの世に生を授かったときには既に存在した。
そして"フィギュア萌え族"だとか紆余曲折を経て
今また秋葉原を標的にした惨劇から疑心暗鬼が始まっている。
もう、お分かりですね?

もっとも、この事案に限って云うと
要はマスコミ。
被害者感情に走る報道も、特定の偏見も、
"あおる"のもマスコミ、テレビです。
素っ頓狂な持論をまくり立てる老教授だとか、
"自称専門家"気取りのコメンテーターが、
作り出せるものは、無限大に広がる。

恐怖を作り出すのは容易い。
それをコントロールすれば疑心暗鬼が始まる。
そして、いずれ相互監視が、始まる。
911のテロ以降のアメリカ社会を見れば面白いように解るだろう。
露骨な中東系排除とか。
もっと遡るならば、アメリカが原爆を開発したのは、
ヒトラーが先に原爆を使用するかも"しれない" という
疑心暗鬼から始まったものだ。
これらには、想像を絶する金銭と人々の命が投じられている。
そういう"負の連鎖"を延々続けるのだ…
かつての冷戦機構と何ら変わりない。
どうするべきか?
真実を知れ。
或いはテレビの報道に頼らぬ情報を。
そして考えよ。
無知は到底許されない。



なにやら考えさせてくれるアニメだ……

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